心を豊かにする暮らし。

沖縄北部やんばるの森での暮らし。ベジカフェ&ヨガ"TAMAYA"代表、旅、畑、食事、子育て、ヨガ、アーユルヴェーダ、ベジカフェ、自宅出産、ホームスクーリングなどなど。"もの"から"こころ"へ豊かの視点を変えることで見えてきた、新しくもあり、昔から変わらないオーガニックな暮らしのかたち。小さな暮らしのヒトコマが、私の小さな幸せのヒトコマ。3児の母。

幼稚園へ"行かない"という選択(3)

前回の続き


さて、私たちの
沖縄での暮らしがはじまりました。

娘は5歳になり
私の中でもなんとなく
幼稚園へ行かない選択もある
"かたち"が見えはじめてきた頃でもありました。

日々の暮らしのなかでも
"幼稚園へ行く?"
という言葉も
あまり頻繁には口にしなくなりました。

ただ、タイミングのあったときに
"幼稚園に行きたくなったら
いつでも言ってね"
とは娘に伝えておくことにしました。

沖縄へ引っ越してきて間もない頃
沖縄中部、読谷村にある
よみたん自然学校というフリースクール
友人に紹介してもらい
子どもたちと皆で見学へ行ってきました。

リーダー(学校長)小倉さんのお話しも
学校の雰囲気も
指針にしている理念も
とても素晴らしかったです*

娘もすぐに裸足で走り回り
楽しそうにしているのが
私も嬉しかった*

元気に走り回る子
静かに本を読む子

みんなで遊ぶ子
ひとりで遊ぶ子

みんなそれぞれの
個性と

みんなそれぞれの
ペース

違うことを否定されずに
肯定させているから

人が違うことをしていても
それらを子どもたち自身も
互いに受け入れ
それぞれが独立して存在している、

そんな風に
私は感じました。

"ここならきっと
子どもたちも楽しく過ごせるかな"

と、私の中でも
子どもたちの中でも
何か少し動きはじめたように思ったのでした。

しかし、
私たちの住む
北部のやんばるの森からは
車で約2時間。

毎日通うには
現実的にもやはり遠すぎる。

"引っ越す"ということも
視野に入れながらも
仕事のこと
家のこと
これからお店を再開させる場所のことなど
考えは巡り巡った。

読谷はとても便利な場所に位置しているが
今住んでいる北部の方が
自然は豊かで家族静かに暮らすことができる。

やんばるの山には
きれいな湧き水も溢れ
海も川も森も美しい景色が残っている。

"学校""教育"を選ぶのか
"暮らし"を選ぶのか、
私たちはそんな選択を
迫られているかのようでした。

悩んでいても
なかなか答えは見つからないもの。

そんなときは
流れに任せることにしている。

頭で考えるのではなく
心が自然に動きたくなるのを待つ。

娘に再度気持ちを聞いてみることに
"やっぱり今は幼稚園には行きたくない"
という答えが。

今はその気持ちを
一番に受け入れてあげよう。

間もなく6歳
もうすぐ小学校のことも考えなくては
いけなくなる。

先のことを考えても仕方のないこと。

"今"を生きている子どもたち、
"今"の気持ちをきちんと
伝えてくれているのだ。

明日のことも
1ヶ月先
1年先のことだって
わからない。

それらは
いつだって、流れるように
カタチを変えて
変化していくものだから。

"子どもなんだから
親が決めてあげないと可哀想だよ"

という言葉もあるかも知れません。

だけど私は
どんなに小さな存在であっても

彼らは感じて
彼らが感じたものを常に
身体の外に出して
メッセージを送っている。

言葉であったり
態度であったり
お絵描きの絵だったり
歌だったり
躍りだったり

日々一刻と変化していく
自分たちの身体から
溢れるものを
表現しているのだと思う。

それらを
否定することなく
見て、感じて
受け入れてあげること
肯定してあげることで
彼らの世界は
自由に純粋に
どんどん広がっていくように私は思います。

もちろんそれは
全てのわがままを何でも聞いて
いいなりになることとは
全く違います。

だけど
その肝心なところの声やメッセージを
聞き落とさないように
受け取り、認めてあげられたらなぁ、
なんて思っています。

とはいえ
私も普通のお母さん。

声を聞くことの
難しさも感じています。

それはもう
母としての直感を
大切にするしかありません(笑)

この声は聞いてあげなくては!
と、感じること

その感覚を頼りにしています。

4月からは
更に沖縄北部の森の中へ
引っ越すことが決まりました。

畑も整えて
鶏や山羊の世話など
山のなかでの暮らしが
そのまま彼らの自然学校になってくれたらいいかな?
と、今は感じています。

そんな
"暮らしの学校"のことなども
少しずつ日記にしていけたらと思っています。

学校は行くものだと思っていたし、
それ以外の選択は
ないものだと思っていました。

しかし、子どもが生まれ
成長していく過程で

"学校"という枠も
"教育"という形も

もっと自由であって良いと
思えるようになったし

とらわれる必要性もないと
考えられるようになりました。

大切なことは
その子どもたちの
もって生れた輝きの灯りを
消すことなく

自由に光れる安全な場所に
導いてあげて

見守ってあげられることなのかなぁと
感じている今日この頃です。

子どもたちは
すでに輝き方を知っているし
わかっている

だから本質は
大人たちが教えるのではなく

大人たちは
導き、見守るなんだよな、
やっぱり、きっと。


さて、来年は
どうなることやら。

楽しみながらやっていくことにします*


f:id:tamaya_cao:20181227235306j:plain